論語、素読会

義を見て為さざるは、勇無きなり|「論語」為政第二24

【原文】
 子曰、非其鬼而祭之、諂也。見義不為、無勇也。
<子曰、非其鬼而祭之、諂也。見義不爲、無勇也。>

(子曰わく、其の鬼に非ずして之を祭るは諂いなり。義を見て為さざるは、勇無きなり。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、其(そ)の鬼(き)に非(あら)ずして之(これ)を祭(まつ)るは諂(へつら)いなり。義(ぎ)を見(み)て為(な)さざるは、勇(ゆう)無(な)きなり。

『論語、素読会』
YouTube動画

00:00​ 章句の検討

11:10​ 「為政第二」01-24 素読
2021.4.1収録


【解釈】

子曰、非其鬼而祭之、諂也。

「鬼」(き)は人の霊魂。庶民は祖先の霊のみを祭るのに対して、「非其鬼」(そのきにあらず)とは同族の霊でないもの、つまり祭ってはならないもの。「諂」(へつらい)は媚びへつらうこと。
孔先生がおっしゃった、自分の先祖でもないのに祭るのは媚びへつらいである。

見義不為、無勇也。

「義」(ぎ)は行わなければならないこと、正義。仁・義・礼・智・信はのちの儒教の中で五常として人の徳性を表すもの。『義』とは?|論語、素読会 「勇」(ゆう)は勇気。
正義だと知りながら行わないのは、勇気がないのだ。


【解説】

背景を知りこの章句の表現したい本心を知りたくなる章句です。「祭ってはならないものを祭る」行為とはどんなことをいうのでしょうか。

論語的表現の特徴として、分かりやすい礼を挙げてその後に伝えたい重要なことを伝えるという方法があります。この章句でも伝えたい事は「正義だと知りながら行わないことは勇気がない行為である」ということです。孔子の時代は特に霊を祭ること、祭礼が為政者の大事な職務であり、厳格に制限されていたと考えることができます。したがって、決められたことを守らないこと、正しいと知っていても行わなかったり、それに反して行う行為を、勇気がない行為だと批判しているのです。

為政第二の最後にこの章句を編んだのは、為政者に対する批判を感じます。孔子のことばの強さと言うより、論語を編纂者の意思を感じるのです。


「論語」参考文献|論語、素読会
為政第二23< | >八佾第三01


【現代に活かす論語】
正義だと知りながら行わないのはひとに媚びている。間違っていると知りながら止められないのは、勇気がないのだ。