論語、素読会

其の説を知る者の天下におけるや、其れ諸を斯に示るが如きかと|「論語」八佾第三11

【原文】
 或問禘之説。子曰、不知也。知其説者之於天下也、其如示諸斯乎。指其掌。

(或ひと禘の説を問う。子曰わく、知らざるなり。其の説を知る者の天下におけるや、其れ諸を斯に示るが如きかと。其の掌を指す。)
【読み下し文】
 或(ある)ひと禘(てい)の説(せつ)を問(と)う。子(し)曰(のたま)わく、知(し)らざるなり。其(そ)の説(せつ)を知(し)る者(もの)の天下(てんか)におけるや、其(そ)れ諸(これ)を斯(ここ)に示(み)るが如(ごと)きかと。其(そ)の掌(たなごころ)を指(ゆびさす)す。

『論語、素読会』
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00:00​ 章句の検討 八佾第三10
07:40​ 章句の検討 八佾第三11
17:40​ 「八佾第三」01-26 素読
2021.4.15収録


「灌」は(そそぎて)または(かんして)と読み下す。
「示」は(しめすが)または(みるが)と読み下す。

【解釈】

或問禘之説。子曰、不知也。

「禘之説」(ていのせつ)は禘祭の意義。禘は天子のみが祀ることができる祭り。
ある人が天子が行うべき禘祭の意義について尋ねた。孔先生は応えておっしゃった。知らないと。

知其説者之於天下也、其如示諸斯乎。指其掌。

「如示諸斯」(これをここにしめすがごとし)は明白なこと。
その意義を知る人が天下を治めることができるのは、手に取るように明白なことだ。と言って、自分の手のひらを指さした。


【解説】

「不知也」孔子はあえて知らずと答えたと文献にはあります。或る人とは門人(弟子)ではないので、もし応えて説明をしてしまうと問題点を指摘してしまうことになります。僭越な行為を避けたのかも知れませんし、指摘すればそれが人を介して悪く広がってしまうかも知れませんので、自分の身を守るために言ったのかも知れません。


「論語」参考文献|論語、素読会
八佾第三10< | >八佾第三12


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