論語、素読会

今女は画れり|「論語」雍也第六10

【原文】
 冉求曰、非不説子之道、力不足也。子曰、力不足者、中道而廃。今女画。
<冉求曰、非不説子之道、力不足也。子曰、力不足者、中道而廢。今女畫。>

(冉求曰わく、子の道を説ばざるに非ず、力足らざればなり。子曰わく、力足らざる者は、中道にして廃す。今女は画れり。)
【読み下し文】
 冉求(ぜんきゅう)曰(い)わく、子(し)の道(みち)を説(よろこ)ばざるに非(あら)ず、力(ちから)足(た)らざればなり。子(し)曰(のたま)わく、力(ちから)足(た)らざる者(もの)は、中道(ちゅうどう)にして廃(はい)す。今(いま)女(なんじ)は画(かぎ)れり。


冉求(ぜんきゅう) … 冉有(ぜんゆう)。姓は冉(ぜん)、名は求(きゅう)また有(ゆう)。字は子有(しゆう)。孔子より29歳若い。温和な性格だったようです。

【解釈】

冉求曰、非不説子之道、力不足也。子曰、力不足者、中道而廃。今女画。

「説」(よろこぶ)は悦ぶ。「子之道」(しのみち)は孔子が説く道、道理。『道』とは?|論語、素読会 「中道而廃」(ちゅうどうにしてはいす)は道の途中で力尽きる。「画」(かぎれる)は自らの力量に限界をつけること、限る。
冉求が言った。孔先生の説く道を悦ばないわけではありませんが、私の力が足りません。孔先生がおっしゃった、力が足りない者は、道半ばにして力尽きる。しかし、今お前は(やる前から)自らの力量に限界を作ってしまっている。


【解説】

冉求は消極的な性格だったようです。この章句では力が足りないと自ら発言をしてしまっています。同じように孔子の教えについて子路が語っている章句があります。「子路は孔子の教えを聞き、それを実践することができずにいると、さらに(新しい)教えを聞くことを恐れた。唯聞く有らんことを恐る|「論語」公冶長第五14)」子路の場合、実践できずにいる自らを顧みて、学びと実践の教えを守りたいという積極性を感じます。
冉求の消極性については孔子も気になっていたのでしょう、この章句はそんな冉求を強く励ましていると感じます。


「論語」参考文献|論語、素読会
雍也第六09< | >雍也第六11


【現代に活かす論語】
学ぶ力が足りない者は、道半ばにして力尽きてしまうだろう。しかし今君はやる前から自分の力量に限界を作ってしまってはいないか?