論語、素読会

射は皮を主とせず。力科を同じくせざるが為なり|「論語」八佾第三16

【原文】
 子曰、射不主皮。為力不同科。古之道也。
<子曰。射不主皮。爲力不同科。古之道也。>
(子曰わく、射は皮を主とせず。力科を同じくせざるが為なり。古の道なり。)

『論語、素読会』
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00:00​ 章句の検討
10:40​ 「八佾第三」01-26 素読
2021.4.21収録


「不主皮」は(しゅひせず)とも(かわをしゅとせず)とも読み下す。

「為力不同科」は[力(ちから)、科(しな)を同(おな)じくせざるが為(ため)なり]とも、[力(ちから)を為(な)すに科(くわ)を同(おな)じくぜず]とも読み下す。

【解釈】

子曰、射不主皮。

「射」は射道(弓道)。「主皮」は皮は的の中央の獣皮の部分を指すのでここでは的を射ること。
孔先生がおっしゃった、射道は的を射ることではない。

為力不同科。古之道也。

「力」(ちから)は能力。「科」(しな)は等差、
人によって能力が違うので(的を射貫く力だけでは競わず)、(所作や振る舞いを含めて)力量を量る。これが古の射の道である。


【解説】

解釈にはさまざまあって、能力が人によって異なるので射道は単に得点を競うことではない。と前後を一緒に考える解釈に対して、力役(公役)に差を設けて人民に課した。射道が得点を競うことが目的でないのと同様である。と前後を分けて解釈するものがある。解釈の方法は違えど、どちらもかつては礼節を大切にして多様性を尊重していたのだという意味に捉えている。


「論語」参考文献|論語、素読会
八佾第三15< | >八佾第三17


【現代に活かす論語】
結果、成績だけを評価の目安とせず、ひとの多様性、能力の多寡を認めて、力量を量ることが古くからのひとの本分です。