論語、素読会

何か我に有らんや|「論語」子罕第九16

孔先生がおっしゃった、職場に出ては高官につかえ、家の中では父兄につかえる。葬儀・喪事にはできるかぎりの力をつくす。そして、酒席で酒を飲んでも乱れることはない。これ以外、私に何があろうか。|「論語」子罕第九16

【現代に活かす論語】
職場では上司に仕え、家庭では父や兄を支える。葬儀や喪中にはできるかぎりの力をつくして先祖を敬い、酒を飲んでも乱れることはない。このような節制する生活をおくる以外、なにがあるだろうか。

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00:00 章句の検討

09:10 「子罕第九」後半13 – 31 素読
2022.6.7収録

【解釈】

子曰わく、出でては則ち公卿に事え、入りては則ち父兄に事う。喪の事は敢て勉めずんばあらず。酒の困を為さず、何か我に有らんや。|「論語」子罕第九16
子曰、出則事公卿、入則事父兄。喪事不敢不勉。不為酒困、何有於我哉。

「則」(すなわち)は動作が引き続いて怒ることを表す。「公卿」(こうけい)は三公(さんこう・三人の重臣)九卿(きゅうけい・)の略称、高位高官のこと。「事」(つかえる)は官職につく、従事する。「不敢」(あえて〜あらず)はどうしても〜しない。「勉」(つとめる)は力を尽くす、力が足りなくても努力する。「不敢不勉」はできるかぎりの力をつくす。「困」(みだれ)は理由、原因、きっかけ。「何有於我哉」これ以外、何か私にあろうか、何もないの意。

孔先生がおっしゃった、職場に出ては高官につかえ、家の中では父兄につかえる。葬儀・喪事にはできるかぎりの力をつくす。そして、酒席で酒を飲んでも乱れることはない。これ以外、私に何があろうか。

【解説】

家庭で親を敬い、兄弟が仲睦まじければ政治を為すこと政治に影響すると孔子は考えています。(孝なるかな惟れ孝、兄弟に友に、有政に施すと。是れ亦た政を為すなり|「論語」為政第二21) それを実践しているのが、「入則事父兄」という表現だと思います。
このように、孔子の信条を表す同じような章句があります。黙して之を識し、学びて厭わず、人を誨えて倦まず。何か我に有らんや。|「論語」述而第七02 この章句は「智」と「信」の実践について、本章句は「孝」「礼」の実践について表現した章句だと思います。双方とも孔子にとって日常的に大切にしていること、節制する生活というものを表現した章句です。


「論語」参考文献|論語、素読会
子罕第九15< | >子罕第九17


【原文・白文】
 子曰、出則事公卿、入則事父兄。喪事不敢不勉。不為酒困、何有於我哉。
<子曰、出則事公卿、入則事父兄。喪事不敢不勉。不爲酒困、何有於我哉。>

(子曰わく、出でては則ち公卿に事え、入りては則ち父兄に事う。喪の事は敢て勉めずんばあらず。酒の困を為さず、何か我に有らんや。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、出(い)でては則(すなわ)ち公卿(こうけい)に事(つか)え、入(い)りては則(すなわ)ち父兄(ふけい)に事(つか)う。喪(も)の事(こと)は敢(あえ)て勉(つと)めずんばあらず。酒(さけ)の困(みだれ)を為(な)さず、何(なに)か我(われ)に有(あ)らんや。
※「困」は(みだれ)とも(くるしみ)とも読み下す。


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子罕第九15< | >子罕第九17


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