論語、素読会

無寧二三子の手に死なんか|「論語」子罕第九12

孔子の病状が重くなったとき、子路は弟子を(まるでどこかの長官の)家来のようにしたがえ(て役割を与え)た。病状が安静したしたとき孔先生がおっしゃった。由が詐りを行って長いことになるなぁ。家来があるような身分ではないのに家来があるようにしている。私は誰かを欺むくのか。天を欺くことができようか。そのうえ、私はその家来の中で死ぬよりは、おまえたち弟子の中で死ぬ方がよい。そのうえ、仮に立派な葬儀をしてもらえなくても、往来でのたれ死にするようなことは無いではないか。|「論語」子罕第九12

【現代に活かす論語】
孔子は弟子の子路に伝えました、かつての長官という位で死ぬより、お前たち弟子の師として死ぬ方がよいと。

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00:00 章句の検討

15:20 「子罕第九」前半01-12 素読
2022.5.28収録

【解釈】

子路(しろ)、由(ゆう) … 姓は仲(ちゅう)、名は由(ゆう)、字は子路(しろ)・季路(きろ)。孔子より九歳若く孔子門人の中で最年長。孔子のボディガード役を果たした。「論語」の登場人物|論語、素読会

子の疾病なり。子路使門人をして臣たらしむ。病間なるときに曰わく、久しいかな、由の詐を行うや。臣無くして臣有りと為す。吾誰をか欺かん。天を欺かんか。且つ予其の臣の手に死なん与りは、無寧二三子の手に死なんか。且つ予縦い大葬を得ずとも、予道路に死なんや。|「論語」子罕第九12
子疾病。子路使門人為臣。病間曰、久矣哉、由之行詐也。無臣而為有臣。吾誰欺。欺天乎。且予与其死於臣之手也、無寧死於二三子之手乎。且予縦不得大葬、予死於道路乎。

疾」(やまい)は病気。「病」(おもき)は病状が重くなる。「門人」(もんじん)は弟子。「臣」(しん)はしたがえる、家来とする。ここでは、家来のように従えるの意。「間」(かんなる)は安静なさま。「久」(ひさしい)は時間が長い、長い間。「詐」(いつわり)は詐欺、だますこと、あざむくこと。「手」(て)は裁量の自由や支配力が及ぶ範囲、手の中。「二三子」(にさんし)は諸君、君たち、先生が門人たちに呼びかけるときに使うことば。「与其〜無寧〜」は〜よりはむしろ〜がよいの比較形。「縦」(たとい)は仮に〜してもと訳す。「葬」は葬儀、「大葬」(たいそう)は立派な葬儀。「道・途・路」は同義語、道は二車分、路は三車分の広さのみち(一般に区別なく用いる)をいう。「乎」はここでは反語の意。

孔子の病状が重くなったとき、子路は弟子を(まるでどこかの長官の)家来のようにしたがえ(て役割を与え)た。病状が安静したしたとき孔先生がおっしゃった。由が詐りを行って長いことになるなぁ。家来があるような身分ではないのに家来があるようにしている。私は誰かを欺むくのか。天を欺くことができようか。そのうえ、私はその家来の中で死ぬよりは、おまえたち弟子の中で死ぬ方がよい。そのうえ、仮に立派な葬儀をしてもらえなくても、往来でのたれ死にするようなことは無いではないか。

【解説】

病床にあった孔子と子路の関係を表す貴重な章句です。かつて大夫(長官)の職にあった孔子を大夫の待遇で見守りたいという子路の熱い気持ちが伝わってきます。これに対して孔子はその行いを諌めつつ、教育者と弟子という関係の中で死にたいと伝え、かつての身分にこだわるより自分の志を継いでくれるたくさんの弟子に囲まれて死にたい、自分はそんな幸せな境遇に恵まれているということを子路を通して弟子たちに伝えているのだと思います。
子路は孔子より先に亡くなっているので、孔子の臨終のことばではなく、重い病気で長い間伏せっていた時期と考えるのが妥当だと思います。

文献によって臨終から葬儀の手配を決めたと解釈されていますが、子路が任官しさまざまなしきたりに通じていたと想像して、かつての大夫の待遇でいろいろと執り行ったという解釈を採用しました。各文献に共通するのは子路の気遣いに対して孔子が感謝していることがことばの端端から感じられるということです。私もその通りだと感じています。


「論語」参考文献|論語、素読会
子罕第九11< | >子罕第九13


【原文・白文】
 子疾病。子路使門人為臣。病間曰、久矣哉、由之行詐也。無臣而為有臣。吾誰欺。欺天乎。且予与其死於臣之手也、無寧死於二三子之手乎。且予縦不得大葬、予死於道路乎。
<子疾病。子路使門人爲臣。病間曰、久矣哉、由之行詐也。無臣而爲有臣。吾誰欺。欺天乎。且予與其死於臣之手也、無寧死於二三子之手乎。且予縦不得大葬、予死於道路乎。>

(子の疾病なり。子路使門人をして臣たらしむ。病間なるときに曰わく、久しいかな、由の詐を行うや。臣無くして臣有りと為す。吾誰をか欺かん。天を欺かんか。且つ予其の臣の手に死なん与りは、無寧二三子の手に死なんか。且つ予縦い大葬を得ずとも、予道路に死なんや。)
【読み下し文】
 子(し)の疾(やまい)病(おもき)なり。子路(しろ)門人(もんじん)をして臣(しん)たらしむ。病(やまい)間(かん)なるときに曰(のたま)わく、久(ひさ)しいかな、由(ゆう)の詐(いつわり)を行(おこな)うや。臣(しん)無(な)くして臣(しん)有(あ)りと為(な)す。吾(われ)誰(たれ)をか欺(あざむ)かん。天(てん)を欺(あざむ)かんか。且(か)つ予(われ)其(そ)の臣(しん)の手(て)に死(し)なん与(よ)りは、無寧(むしろ)二三子(にさんし)の手(て)に死(し)なんか。且(か)つ予(われ)縦(たと)い大葬(たいそう)を得(え)ずとも、予(われ)道路(どうろ)に死(し)なんや。
※「病」は(おもき)とも(へい)とも読み下す。
※「病間曰」は「病閒曰」とも書く。「閒」は旧字。


「論語」参考文献|論語、素読会
子罕第九11< | >子罕第九13


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