論語、素読会

子喪ある者の側に食すれば、未だ嘗て飽かざるなり|「論語」述而第七09

孔先生は、喪に服している人のそばで食事をする際は、(哀しみから満足に食べることができないその人を思いやって)けっして十分に食べるようなことがなかった。孔先生は弔問に行き声をあげて泣いた日は、(気分転換に)歌を歌うことはなかった。|「論語」述而第七09

【現代に活かす論語】
喪中の人のそばでは思いやりをもって行動し、身近な人の弔問のあとに気分転換をするようなことはしない。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討
07:05 「述而第七」前半01-23 素読
2021.10.19収録

【解釈】

子喪ある者の側に食すれば、未だ嘗て飽かざるなり。子是の日に於て哭すれば、則ち歌わず。|「論語」述而第七09
子食於有喪者之側、未嘗飽也。子於是日哭、則不歌。

「有喪者」(もにあるもの)は近親者が亡くなって喪に服しているもの。「飽」(あく)は満腹であるさま、食べ足りているさま。「哭」(こく)は哀しみのために声をたてて泣く、嘆く、慟哭。

孔先生は、喪に服している人のそばで食事をする際は、(哀しみから満足に食べることができないその人を思いやって)けっして十分に食べるようなことがなかった。孔先生は弔問に行き声をあげて泣いた日は、(気分転換に)歌を歌うことはなかった。

【解説】

孔子の時代、近親者が亡くなると3年間喪に服すことが礼節とされていました。実際には喪の期間を短くする人が出て礼節が崩れる傾向があり、孔子も心を痛めていました。喪の期間中は故人を偲んで外出を控え慎ましく過ごします。この章句にあるように、食事が喉を通らないほど哀しんでいる人もおり、常にこのような人を思いやる行動を孔子がとっていたということをうかがわせます。
弔問で声をあげて泣くことは礼儀のひとつであったようです。孔子自身にとってその死を嘆いたその日に、歌を歌って気分転換などできないという孔子の心根をうかがえる章句です。


「論語」参考文献|論語、素読会
述而第七08< | >述而第七10


【原文・白文】
 子食於有喪者之側、未嘗飽也。子於是日哭、則不歌。

(子喪ある者の側に食すれば、未だ嘗て飽かざるなり。子是の日に於て哭すれば、則ち歌わず。)
【読み下し文】
 子(し)喪(も)ある者(もの)の側(かたわら)に食(しょく)すれば、未(いま)だ嘗(かつ)て飽(あ)かざるなり。子(し)是(こ)の日(ひ)に於(おい)て哭(こく)すれば、則(すなわ)ち歌(うた)わず。


「論語」参考文献|論語、素読会
述而第七08< | >述而第七10


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