論語、素読会

我に従わん者は其れ由なるか|「論語」公冶長第五07

孔先生がおっしゃった、国で正しい政治が行われないので、いかだに乗って海にでも逃げ出したい想いだ。私に付いてきてくれるのは由、お前くらいだなあ。子路はこれを聞いてよろこんだ。孔先生がおっしゃった、由は勇気があるのは私以上だ。ただ、まだいかだの材料を手に入れるところまで達していないよ。|「論語」公冶長第五07

【現代に活かす論語】
孔子でさえも困難から志半ばで逃げ出したい気持ちがあった。孔子の傍らには一緒に逃げ出してくれる心強い弟子(部下、同志)もいた。その弟子がいたからこそ改めて困難に立ち向い続けたのである。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討
13:35 「公冶長第五」前半01-15 素読
2021.7.2収録

【解釈】

子路(しろ)、由(ゆう) … 姓は仲(ちゅう)、名は由(ゆう)、字は子路(しろ)・季路(きろ)。孔子より九歳若く孔子門人の中で最年長。孔子のボディガード役を果たした。「論語」の登場人物|論語、素読会

子曰わく、道行なわれず、桴に乗りて海に浮ばん。我に従わん者は其れ由なるか。子路之を聞きて喜ぶ。子曰わく、由や勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所無からん。|「論語」公冶長第五07
子曰、道不行、乗桴浮于海。従我者其由与、子路聞之喜。子曰、由也好勇過我。無所取材。

「道」(みち)は道理、道義、あるべき姿。『道』とは?|論語、素読会 「桴」はいかだ。「過我」(われにすぎたり)は私以上だ。「無所取材」(ざいをとるところなからん)は、まだいかだの材料を手に入れることもできないの意。

孔先生がおっしゃった、国で正しい政治が行われないので、いかだに乗って海にでも逃げ出したい想いだ。私に付いてきてくれるのは由、お前くらいだなあ。子路はこれを聞いてよろこんだ。孔先生がおっしゃった、由は勇気があるのは私以上だ。ただ、まだいかだの材料を手に入れるところまで達していないよ。

【解説】

この章句は最後の「無所取材」について二通りの解釈が可能です。
ひとつは孔子によろこんで帯同してくれる子路の勇気を褒め認めつつも、彼自身の能力が足らないので、まだまだ先が長いという解釈。子路の奮起を促すという解釈です。
一方、孔子自身が志半ばで逃げ出したい気持ちがありつつもなんとか困難を打開して志を遂げたいという想いを強調して、まだまだ逃げ出すわけにはいかないという自らを律する想いを見いだす解釈です。

この場面では、恐らくくつろいだ日常のひととき、孔子がふと物思いから覚めて実直な子路と目が合い、思わずこぼれたひと言に、子路が大喜びしている姿が浮かびます。恐らく想像以上によろこぶ子路を見て、いやいやまだ逃げ出すわけにはいかない、そんなに真に受けるなという子路に対する気持ちと、そう言ってしまった孔子自身への後ろめたさというか、誤解がないようにする周りへの配慮、訂正のようなニュアンスを感じます。
前半の内容から、いかだは孔子自身が準備するものであると解釈すると、「無所取材」は孔子を主語にして解釈するのがしっくりきます。つまり前述の二つの解釈のうち後者の意味合いが強いと私は思うのです。


「論語」参考文献|論語、素読会
冶長第五06< | >公冶長第五08


【原文・白文】
 子曰、道不行、乗桴浮于海。従我者其由与、子路聞之喜。子曰、由也好勇過我。無所取材。
<子曰、道不行、乘桴浮于海。從我者其由與、子路聞之喜。子曰、由也好勇過我。無所取材。>

(子曰わく、道行なわれず、桴に乗りて海に浮ばん。我に従わん者は其れ由なるか。子路之を聞きて喜ぶ。子曰わく、由や勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所無からん。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、道(みち)行(おこ)なわれず、桴(いかだ)に乗(の)りて海(うみ)に浮(うか)ばん。我(われ)に従(したが)わん者(もの)は其(そ)れ由(ゆう)なるか。子路(しろ)之(これ)を聞(き)きて喜(よろこ)ぶ。子(し)曰(のたま)わく、由(ゆう)や勇(ゆう)を好(この)むこと我(われ)に過(す)ぎたり。材(ざい)を取(と)る所(ところ)無(な)からん。


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