論語、素読会

賢を見ては斉しからんことを思い|「論語」里仁第四17

孔先生がおっしゃった、自分より知恵のある人を見ては、自分もそのひとのようになろうと思い、人間的につまらないひとを見ては、自分の中にも同じようなことがないかと反省する。|「論語」里仁第四17

【現代に活かす論語】
自分に勝るひとを見てはそのひとのように成りたいと思い、自分より劣るひとを見てはそのひとと同じようなことがないか自分を点検する。そんな人間でありたい。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討 里仁第四16
04:43 章句の検討 里仁第四17
07:40 「里仁第四」01-26
素読 2021.6.9収録

【解釈】

子曰わく、賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みるなり。|「論語」里仁第四17
子曰、見賢思斉焉、見不賢而内自省也。

「賢」(けん)は自分より知恵のある人。「斉」(ひとし)は等しい。「不賢」(ふけん)は知恵のない人。「内自省」(うちにみずからかえりみる)は自分の中にもないかと反省する。

孔先生がおっしゃった、自分より知恵のある人を見ては、自分もそのひとのようになろうと思い、人間的につまらないひとを見ては、自分の中にも同じようなことがないかと反省する。

【解説】

ひとを見て、その人を蔑んだり馬鹿にするのではなく、自分の中にその経験を活かす努力を惜しまないところに孔子の教えがあります。


「論語」参考文献|論語、素読会
里仁第四16< | >里仁第四18


【原文・白文】
 子曰、見賢思斉焉、見不賢而内自省也。
<子曰、見賢思齊焉、見不賢而内自省也。>

(子曰わく、賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みるなり。)
【読み下し文】
 子(し)曰(のたま)わく、賢(けん)を見(み)ては斉(ひと)しからんことを思(おも)い、不賢(ふけん)を見(み)ては内(うち)に自(みずか)ら省(かえり)みるなり。


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