論語、素読会

其の仁を知らざるなり|「論語」公冶長第五08

孟武伯が尋ねた「子路は仁者でしょうか。」孔先生がおっしゃった「子路が仁者かどうかは分からない。」と。孟武伯は同じことを重ねて尋ねた。孔先生がおっしゃった、「由は千乗の規模を誇る国の軍隊を扱わせるだけの能力はあります。ただ、彼が仁者であるかどうかは判断できません。」孟武伯は尋ねた「求はどうだろうか。」孔先生がおっしゃった「求は千戸の集落の長官や、百乗の領地を持つ大夫の家の家老なら務まるでしょう。ただ、彼が仁者であるかどうかは判断できません。」と。孟武伯は尋ねた「赤はどうだろうか。」孔先生がおっしゃった、「赤は礼服を着て朝廷に立ち、お客様の応対をさせることはできます。ただ、彼が仁者であるかどうかは分かりません。」と。|「論語」公冶長第五08

【現代に活かす論語】
孔子は弟子の人物評を求められても、得意分野と力量を伝えることはあっても、「仁者」あるかどうか言及することはなかった。「仁者」というひと言で判断をしてしまうことを避けていたのである。

部下の能力ついて、得意な分野とその力量を把握するリーダーでありたい。例えば仕事ができるできないというようなひと言で判断することがあってはならない。

『論語、素読会』YouTube動画
00:00 章句の検討
18:20 「公冶長第五」前半01-15 素読
2021.7.6収録

【解釈】

孟武伯(もうぶはく) … 孟懿子(もういし)の子。名は彘(てい)。武は贈り名。伯は字で長子(第一子)のこと。魯(ろ)の大夫。魯は孔子が生まれ育った国。大夫は周代から春秋戦国時代にかけて領地を持った貴族(王族、公族を含む)のことを呼んだ。彼らは国政に参加していた。ぜいたく、わがままな振る舞いが多く、健康には恵まれなかった。「論語」の登場人物|論語、素読会

子路(しろ) … 姓は仲(ちゅう)、名は由(ゆう)、字は子路(しろ)・季路(きろ)。孔子より九歳若く孔子門人の中で最年長。孔子のボディガード役を果たした。「論語」の登場人物|論語、素読会

求(きゅう) … 冉有(ぜんゆう)。姓は冉、名は求(きゅう)また有。字は子有(しゆう)。孔子より29歳若い。温和な性格だったようです。「論語」の登場人物|論語、素読会

赤(せき) … 公西華(こうせいか)。姓は公西(こうせい)、名は赤(せき)、字は子華(しか)。孔子より四十二歳若い。儀式・礼法に通じ、孔子が亡くなったときの葬儀委員長を務めたという。「論語」の登場人物|論語、素読会

千乘之国(せんじょうのくに) … 戦争で使用する兵車を千乗を出すことができる国力がある国。兵車一乗とは、四頭立ての戦車に乗車する兵士が3人。従う歩兵が72人。労務者25人の合計100人で組織された。千乗とは10万人の規模。

孟武伯問う、子路仁なりや。子曰わく、知らざるなり。又問う。子曰わく、由や、千乘之国、其の賦を治めしむべきなり。其の仁を知らざるなり。求や何如。子曰わく、求や、千室の邑、百乘の家、之が宰たらしむべきなり。其の仁を知らざるなり。赤や何如。子曰わく、赤や束帯して朝に立ち、賓客と言わしむべきなり。其の仁を知らざるなり。|「論語」公冶長第五08
孟武伯問、子路仁乎。子曰、不知也。又問。子曰、由也、千乘之国、可使治其賦也。不知其仁也。求也何如。子曰、求也、千室之邑、百乘之家、可使為之宰也。不知其仁也。赤也何如。子曰、赤也束帯立於朝、可使与賓客言也。不知其仁也。

「仁」(じん)はここでは仁者のこと。孔子の門人にとっては目指す目標。思いやりのある人物。『仁』とは?|論語、素読会 「不知也」(しらざるなり)は分からない、判断がつかないという意味。「賦」(ふ)は割り当て。軍隊の兵車・兵隊・人夫(人足)・食料などを整備すること。「千室之邑」(せんしつのゆう)は千戸の集落。「百乘之家」(ひゃくじょうのいえ)は兵車百乗を出す領地を持つ大夫(卿大夫 けいたいふ)の家。「宰」(さい)は長官のこと。家老。「束帯」(そくたい)は礼服に用いる大帯。「朝」(ちょう)は朝廷。「賓客」(ひんきゃく)はお客様。「言」(いう)は応対。

孟武伯が尋ねた「子路は仁者でしょうか。」孔先生がおっしゃった「子路が仁者かどうかは分からない。」と。孟武伯は同じことを重ねて尋ねた。孔先生がおっしゃった、「由は千乗の規模を誇る国の軍隊を扱わせるだけの能力はあります。ただ、彼が仁者であるかどうかは判断できません。」孟武伯は尋ねた「求はどうだろうか。」孔先生がおっしゃった「求は千戸の集落の長官や、百乗の領地を持つ大夫の家の家老なら務まるでしょう。ただ、彼が仁者であるかどうかは判断できません。」と。孟武伯は尋ねた「赤はどうだろうか。」孔先生がおっしゃった、「赤は礼服を着て朝廷に立ち、お客様の応対をさせることはできます。ただ、彼が仁者であるかどうかは分かりません。」と。

【解説①】

弟子の人物評を尋ねられてそれぞれの得意分野について回答しますが、必ず「不知其仁」仁者であるかどうかは分からない、判断できないと、回答している章句です。子路、冉求、公西華だけでなく、焉んぞ佞を用いん|「論語」公冶長第五05では、仲弓の人物評を聞かれ、「不知其仁」と答えています。
孔子に弟子の人物評を聞く際に、「彼は仁者ですか?」と聞くのが通例になっているのか、孔子に仁者と言わせたいのか、「仁」という言葉が一人歩きをしている印象さえ受けます。
これに対して、我未だ仁を好する者不仁を悪む者を見ず|「論語」里仁第四06でも心底「仁」を好む者に出会ったことがないと言っていることから、仁者かどうかは分からないというのは、まだまだ本物の仁者ではない、という孔子の本心だったのではないでしょうか。

この章句での孟武伯は仕官の誘いを念頭に入れた質問なのでしょうか。興味深いのは、孟武伯は冒頭で子路のことを字で呼びます。これに対して孔子が「由」という親しい間柄だけで呼ぶ名で答えます。ここから孟武伯も「求」「赤」と名で呼び、会話が終了します。孟武伯が弟子たちの名をしていることは孔子とその門人たちとの付き合いの距離の近さを物語っていると思います。

【解説②】

孔子は「仁者」であるか尋ねられると、決まって仁者かどうかは分からないといいます。話題に上った人間の人物評を敢えて避けているというより、「仁者」、「仁」がどういうものであることか言及してそれが少ない言葉で固定化することを避けているように思います。「仁」を思いやりの心と定義していますが、どんな心が思いやりなのか、どんな人物が「仁者」で思いやりの心が有るのか無いのか、孔子の言葉によって読み手がそれぞれ感じ取っていくのが論語の魅力だと思います。

或ひと曰わく、雍や仁にして佞ならず。子曰わく、焉んぞ佞を用いん。人に禦るに口給を以てすれば、屢人に憎まる。其の仁を知らず、焉んぞ佞を用いん。|「論語」公冶長第五05
孟武伯問う、子路仁なりや。子曰わく、知らざるなり。又問う。子曰わく、由や、千乘之国、其の賦を治めしむべきなり。其の仁を知らざるなり。求や何如。子曰わく、求や、千室の邑、百乘の家、之が宰たらしむべきなり。其の仁を知らざるなり。赤や何如。子曰わく、赤や束帯して朝に立ち、賓客と言わしむべきなり。其の仁を知らざるなり。|「論語」公冶長第五08
子張問うて曰わく、令尹子文、三たび仕えて令尹と為れども、喜ぶ色無し。三たび之を已めらるれども、慍む色無し。舊令尹の政、必ず以て新令尹に告ぐ。何如。子曰わく、忠なり。曰わく、仁なりや。曰わく、未だ知らず、焉んぞ仁なるを得ん。崔子斉の君を弑す。陳文子馬十乘有り、棄てて之を違る。他邦に至りて、則ち曰わく、猶吾が大夫崔子がごときなりと。之を違る。一邦に至りて、則ち又曰わく、猶吾が大夫崔子がごときなりと。之を違る。何如。子曰わく、清なり。曰わく、仁なりや。曰わく、未だ知らず、焉んぞ仁なるを得ん。|「論語」公冶長第五19
子貢曰わく、如し博く民に施して、能く衆を済う有らば、何如。仁と謂うべきか。子曰わく、何ぞ仁を事とせん。必ずや聖か。堯舜も其れ猶諸を病めり。夫れ仁者は、己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。能く近く譬を取る。仁の方と謂うべきのみ。|「論語」雍也第六28
克・伐・怨・欲行われざる、以て仁と為すべきや。子曰わく、以て難しと為すべし。仁は則ち吾知らざるなり。|「論語」憲問第十四02


「論語」参考文献|論語、素読会
公冶長第五07< | >公冶長第五09


【原文・白文】
 孟武伯問、子路仁乎。子曰、不知也。又問。子曰、由也、千乘之国、可使治其賦也。不知其仁也。求也何如。子曰、求也、千室之邑、百乘之家、可使為之宰也。不知其仁也。赤也何如。子曰、赤也束帯立於朝、可使与賓客言也。不知其仁也。
<孟武伯問、子路仁乎。子曰、不知也。又問。子曰、由也、千乘之國、可使治其賦也。不知其仁也。求也何如。子曰、求也、千室之邑、百乘之家、可使爲之宰也。不知其仁也。赤也何如。子曰、赤也束帶立於朝、可使與賓客言也。不知其仁也。>

(孟武伯問う、子路仁なりや。子曰わく、知らざるなり。又問う。子曰わく、由や、千乘之国、其の賦を治めしむべきなり。其の仁を知らざるなり。求や何如。子曰わく、求や、千室の邑、百乘の家、之が宰たらしむべきなり。其の仁を知らざるなり。赤や何如。子曰わく、赤や束帯して朝に立ち、賓客と言わしむべきなり。其の仁を知らざるなり。)
【読み下し文】
 孟武伯(もうぶはく)問(と)う、子路(しろ)仁(じん)なりや。子(し)曰(のたま)わく、知(し)らざるなり。又(また)問(と)う。子(し)曰(のたま)わく、由(ゆう)や、千乘之国(せんじょうのくに)、其(そ)の賦(ふ)を治(おさ)めしむべきなり。其(そ)の仁(じん)を知(し)らざるなり。求(きゅう)や何如(いかん)。子(し)曰(のたま)わく、求(きゅう)や、千室(せんしつ)の邑(ゆう)、百乘(ひゃくじょう)の家(いえ)、之(これ)が宰(さい)たらしむべきなり。其(そ)の仁(じん)を知(し)らざるなり。赤(せき)や何如(いかん)。子(し)曰(のたま)わく、赤(せき)や束帯(そくたい)して朝(ちょう)に立(た)ち、賓客(ひんきゃく)と言(い)わしむべきなり。其(そ)の仁(じん)を知(し)らざるなり。


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