論語、素読会

『徳』とは?|論語、素読会

「徳」とは人間が生まれながらに積み重ねていくもの。

民徳帰厚矣。
人民は自然に徳を重ねて厚みを増していくものだ。
民の徳厚きに帰す|「論語」学而第一09

「徳」は人が生まれながらに積み重ねていく体得したもの、人の道理など。

為政以徳、
政治を人の道理で行えば、
政を為すに徳を以てすれば|「論語」為政第二01

拠於徳、
実践により体得した徳性を拠りどころにし、
道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に游ぶ|「論語」述而第七06

「徳」は道徳のこと。人が生まれながらに重ねていく徳性。

道之以徳、斉之以礼、有恥且格。
道徳によって導き、礼儀や儀礼を伝えて統制していくと、人民は自分を恥じて自らを省みて、自ずと正して善に向かっていくようになる。
之を道くに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば|「論語」為政第二03

中庸之為德也、其至矣乎。
過ぎることもなくいつまでも変わらない道徳というものは最高であるなぁ。
中庸の德たるや、其れ至れるかな|「論語」雍也第六27

「徳」(とく)は人間が生まれながらに高めていく思いやり(仁)や信頼(信)の心。

子曰、君子懐徳、小人懐土。
孔先生がおっしゃった、人の上に立つ立派な人(君子)は自分の行動が徳に合致しているかを思い、凡人は自身の安住する土地について思う。
君子は徳を懐い、小人は土を懐う|「論語」里仁第四11

子張問崇徳辨惑。子曰、主忠信徙義、崇徳也。愛之欲其生、悪之欲其死。既欲其生、又欲其死。是惑也。
子張は徳性を高くし迷いをなくすにはどうすべきか尋ねた。孔先生がおっしゃった、誠実さと約束を守り務めを果たすことを旨として正しい道へ向かうことは、徳性を高めることになる。あるものを愛してはいつまでも生きることを願い、あるものを憎んでは死ぬことなくなることを願う。終始、その生きることを希望して、またその死ぬことを希望する。これこそが迷いであるよと。
徳を崇くし惑を辨ぜんことを問う|「論語」顔淵第十二10

有徳者必有言。有言者不必有徳。
「徳」(人が生まれながらに高めていく思いやりや信頼の心)がある者は必ずよい言葉がある。よい言葉がある人に必ずしも「徳」があるとは限らない。
徳有る者は必ず言有り。言有る者必ずしも徳有らず|「論語」憲問第十四05

「徳」(とく)はひとが生まれながらに重ねていく善い行い。

子曰、德不孤、必有鄰。
孔先生がおっしゃった、善行を重ねていくことは孤独ではない。必ずこれに共感してくれるひとがいる。
德は孤ならず、必ず鄰有り|「論語」里仁第四25

君子之徳風。小人之徳草。草上之風、必偃。
君子(人の上に立つ立派なリーダー)の「徳」よい行いは風で、小人の「徳」は草です。この草に風が当たれば、必ず倒れ(なびき)ます。
君子の徳は風なり。小人の徳は草なり。草之に風を上うれば、必ず偃す。|「論語」顔淵第十二19

敢問崇徳、修慝、辨惑。子曰、善哉問。先事後得、非崇徳与。
あえて徳を高くし、悪いところを直し、迷いを処理するにはどうしたらいいのでしょう。孔先生がおっしゃった、善いねその質問は。やるべきことを先にして(自分に)取り込むことは後にする、徳を高くするとはこういうことだね。
敢て徳を崇くし、慝を修め、惑を辨せんことを問う。子曰わく、善いかな問うこと。事を先にして得ることを後にする、徳を崇くするに非ずや。|「論語」顔淵第十二21

君子哉若人、尚徳哉若人。
人の上に立つ立派な人(君子)とはこのようなことを言うのだね。ひとが生まれながらに重ねていく善い行い(徳)を重視するとはこのようなことを言うのだね。
君子なるかな若き人、徳を尚ぶかな若き人|「論語」憲問第十四06

「徳」(とく)はひとが生まれながらに重ねていく善い行い、道徳。

徳之不修
徳性を修めることができないこと
德の修まらざる|「論語」述而第七03

吾未見好徳如好色者也。
私はいままで美女を愛するように道徳に心がひかれるひとを見たことがない。
吾未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり|「論語」子罕第九18

已矣乎。吾未見好徳如好色者也。
もうどうしようもない。私はいままでひとが生まれながらに重ねていく善い行い「徳」を好むことを、女性への情愛を好むように(意識することなく自然に)する者を見たことがない。
吾未だ徳を好むこと色を好むが如くする者を見ざるなり|「論語」衛霊公第十五13

「徳」(とく)は生まれながらにしてひとが積み重ねていく善い行い、そしてそれを行う能力。

天生徳於予
天の神は私に徳性を重ねる能力を授けた
天徳を予に生せり|「論語」述而第七22
驥不称其力、称其徳也。
千里を走る名馬はその力を賞賛するのではなく、その性質の良さをほめるのだ。
驥は其の力を称せず、其の徳を称するなり。|「論語」憲問第十四35
知徳者鮮矣。
徳を知る者はほとんどいないね。
徳を知る者は鮮なし|「論語」衛霊公第十五04

「徳」は道徳のこと。「至徳」(しとく)は最高の道徳。

周之徳、其可謂至徳也已矣。
周という国の道徳はそれは最高の道徳ということができる
周の徳は、其れ至徳と謂うべきのみ|「論語」泰伯第八20

「徳」(とく)は社会において正しいものと評価される行動規範、道徳。

不恒其徳、或承之羞。
正しい行いを常にしなければ、恥を受けることにことになるとも言うね。
其の徳を恒にせざれば、或は之に羞を承めん。|「論語」子路第十三22

「徳」(とく)は恩義、恩恵。

以徳報怨、何如。
恩恵をもって受けた怨みに報いるといいますが、どう思われますか?と。
徳を以て徳に報いん徳を以て怨に報いば、何如。|「論語」憲問第十四36
何以報徳。以直報怨、以徳報徳。
何をもって恩恵(徳)に報いればいいのか。正しく公平をもって受けた怨みに返し、恩恵をもって恩恵に報いるといいだろう。
何を以てか徳に報いん。直きを以て怨に報い、徳を以て徳に報いん。|「論語」憲問第十四36

※Kindle版
※Kindle版

私にとって「徳」についての最大の出会いは、安岡正篤先生の人間学講話「人物を創る」の巻頭の言葉です。この普遍的な考え方に感銘を受けて、人間学・中国古典を習い始めるきっかけになりました。

宇宙の本体は、絶えざる創造変化活動であり、進行である。その宇宙生命より人間が得たるものを「徳」という。この「徳」の発生する本源が「道」である。「道」とは、これなくして宇宙も人生も存在し得ない、その本質的なものであり、これが人間に発して「徳」となる。
これを結んで「道徳」という。よって「道徳」の中には宗教も狭義の道徳も政治もみな含まれている。しかもその本質は「常に自己を新しくする」ことである。殷の湯王の盤銘にいう「苟に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなり」という言葉は、宇宙万物運行の原則であり、したがって人間世界を律する大原則でもある。
人はこの「道徳」の因果関係を探求し、その本質に則ることによって自己の徳(能力)を無限大に発揮することができるのである。

安岡正篤「人物を創る」プレジデント社